TRPGで大事なのは協力する意思…ではないと思っています

最近Twitterを見ていてこんなふうに言っている人を見かけました


「協力して楽しく遊ぶ事が大事だ!」


「倫理的にしていいことかどうか

考える事が大事だ!」


うん、おおむね賛成です、でも、「協力」やら「倫理的」って

えらく幅ひろく捉えられるふんわりした表現かなって思ったのです


まあ、Twitterの140字で抑えるなら

そのぐらいじゃないと足らないとは思いますけれどね!


けれども、いい言葉ゆえに、勘違いしてほしくないのです

俺が感じた怖い勘違いというのが


自分を抑えれば、卓は丸く収まるようになって良い


っていう勘違いです


「いや丸く収まるだろ」

って言う人も居るのでしょうが、俺には解せません


これは仕事ではありません、

仕事であるならば、抑えて堪えて、

うまく行かせようとする時だって必要なのでしょう


でもこれは遊びです、

「協力」や「倫理」では物足りないです


相手に嫌がられない、不機嫌になられないようにするのでは

全然おもしろくありません


辛い事を無くそう、ではなく
どれだけ面白く遊べるか、を考えるべきではありませんか?


俺は協力や、倫理的という言葉で、こう解釈します


どれだけ自分なりに相手を想いやるか


自分を抑えて相手のいいなりになったり

相手のしたいことを発見して

自分を地蔵化させたりすることではなく


自分自身が楽しみ、その上で

相手がされて「嫌なこと」を「どれだけ沢山避けるか」ではなく
されて「嬉しい事」を、「どれだけ沢山やるか」

だと思うのです


違いを感じ取るのは難しいかもしれません


避けるやり方は、例えるなら街路樹のような存在

一部の人には添えるようにありがたいかもしれません


でも多くの人には空気であり、刺激を与えてこない

背景の一部ですよね


対してどれだけ沢山やるのか、というのは

社長のして欲しい事を察する秘書のような存在です


どっちがより助かりますか?っていう話しですよ


街路樹が全部なくなれって話ではないですけれど


残念ながら、街路樹は秘書には勝てませんよ


避けるのではなく、おせっかいを焼いてみる


それは人によってはありがた迷惑だったり

要らない事だったりするのかもしれませんが


でも、それでも俺はその方が、人の為になると思います


だってあなたは人間です、避けるべきゴミでも

道を開けるように避けるべき木々でも無いのです


生まれたときから邪魔してなんぼです

生きてて迷惑かけてなんぼなのです


でも落ち込む必要はありません


大事なのは、邪魔した分、迷惑かける分

沢山人のことを考えて、思いやってやれば良いのですから


慣れてない後輩や、子どもたちが迷惑をかけるのは当たり前です

その分、時代を経て、彼らは思いやれるようになり

次の子どもたちを支えるのが大人なのですから


だから、避けないでください、

地蔵になったりして、丸く収めるのは、とても迷惑です


卓を囲む人たちはあなたを人として見ようとしているのですから

人として、一緒に楽しもうとしているのですから


TRPGの地蔵とは、よく言ったものだと思います


地蔵って、ヒトガタしてるもんね・・・


周りの人は、きっと、人だと見ているから

そういう意識の現れなのかもしれないと

神里は感じて居ます


うまく思いやれないなら、沢山迷惑をかけて

いち早く思いやれるようになりましょう


沢山人とぶつかって、沢山話し合って
それで楽しいゲームを模索したら良いじゃないですか


楽しいゲームをするためにも

もっと、アグレッシブに!遠慮は捨てて!

思いやりは十人十色で良いのですから!


道を譲ってくれる良い人、では無く

楽しいKP、楽しいPLとして覚えてもらえるような

そんな一人になろうとしてみましょうよ!


CoCルールブックは

時より哲学書みたいなことも書いているのですよ


”TRPGは、社交そのものである”

-クトゥルフ神話TRPGルールブックP.30より引用-



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神里くんが楽しんでるTRPG観のお話

基本的にTRPGに絞った話をしていきます! 沢山の人と、いろんな目的を持った人と遊ぶTRPGなので こういったページがあると一緒に遊びやすいかと考えました 是非、どんなプレイをするやつなのかの アテにしていただけると嬉しいですし それで安心して頂いたら是非遊びましょう! プレイスタイルの話や、TRPGの闇と言われるような部分にも 触れていきたいなと思っています